#6【街歩き】【JR五能線】「バスケだけではない癒しスポット満載の能代の歩き方」とは?
■バスケの街・能代の囲炉裏カフェとは?
最近なんだか疲れている。
たいして仕事もできず彼女も貯金もない36歳の俺が唯一の楽しみにしていることと言えば野球を見ることである。幸い今年は小3からのファンであるジャイアンツの調子がいい。だがふと思うときがある。ジャイアンツが勝ったからと言って俺に何の得があるのだろうと。俺の年俸が増えるわけでもないし、女子アナと結婚できるわけでもない。なのになぜ俺は必死に応援しているのだろう。ジャイアンツが勝ったからと言って、別に俺が勝ったわけではない。というか明日の仕事休もうかな。
そう、俺は疲れているのである。
気づくと俺は電車に乗っていた。
目的地は「東能代駅」である。能代市は言わずと知れた能代工業でお馴染みのバスケの街だが、「風の松原」と呼ばれる日本最大級の防砂林があり、能代市の観光名所のひとつに挙げられている。いわゆるこの能代の癒しスポットで疲弊した俺の心と体を癒そうと思い立ったのである。
俺はさっそくJR奥羽本線で東能代駅へと向かった。JR五能線の玄関口も担っている東能代駅に降りて、まず目についたのはバスケットリングである。
さすがはバスケの街といったところだが、東能代駅は能代市の都市部から離れていることもあり、駅前には商店街もなく閑静な住宅街が広がっていた。
駅を出ると県道をまっすぐ歩き、囲炉裏カフェ「CoCo」を目指した。まずはこのお店で昼飯といこう。
玄関口でお母さんが出迎えてくれた。もはやお店というよりも親戚の家に来たような感覚である。ひとまず囲炉裏の前に座り、お母さんの料理が出来上がるのを待つことにした。
お母さんが料理を運んできてくれた。やはりお店で食べているというよりも、親戚の家で食べている感覚に近い。だがけして堅苦しい気持ちにはならずに不思議とリラックスできる。
温かいかぼちゃの味噌汁を味わいながら、俺は小さく頷いた。人は美味しいご飯を目の当たりにすると、黙って頷くものである。
12時を過ぎると常連と思われるお母さん方もやってきて賑やかになってきた。東能代のマダムたちの憩いの場としても愛されているようである。
■ 東能代の癒しスポット「風の松原」とは?
ご飯を食べ終えると、俺は五能線に乗って「能代駅」へと向かった。「東能代駅」と同様にこの駅でもバスケットリングが出迎えてくれた。
能代市は人口約5万人。秋田の県北に位置し日本海に面した街である。そして大舘市が忠犬ハチ公ならば、やはり能代市は言わずもがなバスケットである。もはやバスケ中心に街づくりされていることは電車を降りた瞬間に感じ取ることができたが、駅前の風景は他の街同様少し寂しげである。
風の松原に向かう途中、1軒の喫茶店を発見した。
中に入ると常連らしき能代ダンディが一人コーヒーを飲んでいたが、間もなく会計の運びとなり、俺とママさんとのマンツーマンの形となった。そう、以前にも書いたが俺は大人なのに人見知りなのである。
「あら、このへんのひと、ではないわね?」
「秋田市からです。今日はこれから風の松原に行って、それからどこかで一杯やって帰ろうかと」
「それはすごくいいプランね」
ママさんはそう言って笑いながらコーヒーを淹れてくれた。人見知りはとりあえず相手が笑ってくれると安心するものである。
「風の松原はいいところよ。私もよく行ったわよ、ワンちゃんを連れてね」
ふと横を見ると、営業時間が書かれた張り紙を見つけた。すでに閉店時間の14時を過ぎている。申し訳ないと思いつつもアイスコーヒーをストローですすりながら、コロナ禍の秋田県内の情勢、日本酒の話、そして伊勢谷友介の大麻問題に至るまでをなぜかママさんと語り合った。人見知りは一旦心を許すと、犬のようになつくものである。
「なんだかいっぱい話しちゃったわね」
「楽しかったです。ではこれから風の松原に。ただこの後雨が心配で」
「どうかなぁ。天気予報は降るんだか降らないんだか。降らないといいわね」
優しいママさんの喫茶店を後にして、俺は再び目的地の風の松原に向かって歩き始めた。途中にあった公園にはしっかりとバスケットリングが設置されている。さすがはバスケの街・能代である。
喫茶店から20分ほど歩いて、風の松原に到着した。
先ほど囲炉裏カフェ「CoCo」のお母さんから頂いたパンフレットによると、日本最大級の松林「風の松原」の面積は約760ヘクタール、東京ドーム163個分の大きさだという。もはや自分で書いていても全くピンとこない。とにかくスラムダンクの赤木キャプテンもビックリのデカさというのは理解できたが、その景色は確かに心癒されるものがあった。この日はすこし天気が心配だったが、能代市民たちがジョギングをしたり、ゲートボールを楽しんだり、思い思いに自然を満喫している。
鮮やかな緑の風景と、優しい陽の光。そして鳥の鳴き声。圧倒的スケールの自然を目の当たりにして、この場所でならこんな俺でも前向きな気持ちになれる気がした。運動はとことん苦手だがここ風の松原でゲートボールをしたらホールイワンを狙える気がする。生まれてから一度も女にモテたことはないがここ風の松原で告白したらなんとなく成功しそうな気がする。そうか、これが俗にいうパワースポットというやつだな。
などとワケの分からないことを一人合点しながら歩いていると、大きな道路が見えてきた。どうやら風の松原の出口にたどり着いたようである。
■ 地元の銭湯に浸かり赤提灯で一杯
俺は再び駅の方向へと向かって歩き出した。美味しいご飯を食べて、喫茶店でママさんと会話を楽しんで、さらには自然をも満喫する。我ながら今日は完ぺきな一日である。非常に調子が良い。今ならスリーポイントシュートとかも決められそうだ。後は美味い酒を飲んで帰るのみである。
夕方までまだ少し時間があったため、銭湯に立ち寄って汗を流すことにした。地元のお父さんと一緒に熱いお湯に浸かり、歩き疲れた体を癒す。そして風呂からあがって団扇を扇ぎつつ本棚からヤングジャンプを取り出し西野七瀬のグラビアを眺める。これが大人の嗜みというものである。
銭湯から出ると日が暮れていた。バスケの街・能代の旅は駅から少し歩いたところにある赤提灯の店で締めることにした。
どうやら60代と思われるお母さんが一人で切り盛りしているようである。まだ6時前だったがすでに常連さんが一杯やっている。俺もお通しをつまみにビールを飲みながら黒板のメニューを眺めてみる。
さんま、あゆ、かれい、ステーキ、全体的にメニューがざっくりしているのが気になったが、今宵はまず「いかごろやき」からスタートである。
影響を受けやすい俺は、隣の常連のお父さんが注文したアスパラを真似して頼んでみた。
「このへんのひと?学生?」
アスパラを肴にビールから芋焼酎に切り替えてチビチビやっているとお母さんに不意に話しかけられた。
「いや、学生ではないのですが、今日はなんというか、能代観光で……」
36歳の俺はもはやしどろもどろである。
「よかったら、これ食べれ」
そう言ってお母さんはイカのから揚げをサービスしてくれた。
今宵はお母さんが強い火力で豪快に焼いてくれたステーキを芋焼酎の水割りで流し込んでフィニッシュ。赤ちょうちんのお店で食べるステーキは格別だった。
「ステーキ、うめが?」
「うん。旨いです」
お母さんも俺もそれ以上のことは言わない。それだけで十分なのである。
36歳。最近の俺はなんだか疲れている。たいして仕事もできず、金もなければ女もいない。ついでに髪の毛も風前の灯って、もはや意思の弱い人間なら死ぬレベルである。
だがこんな俺でも「今日は悪くない1日だったな」と思う日がある。例えばそれは今日だったかもしれないな。
帰り際「電車で飲んでいけ」とお母さんにもらった「おーいお茶」を飲みながらそんなことを思った。
さて、今回は疲れ気味の心と体が癒されたKANEYANの秋田ぶらり旅。今日も良い具合に酔ったところで、ひとまずバスケの街に別れを告げて、次回は五能線をもう少し先に進んで白瀑神社を目指してみようか。
続く。