#1 【旅の始まり】【JR花輪線】「忠犬ハチ公の故郷・大舘の街並みと夜の姿」とは?
■旅の始まり
旅に出たいと思った。
気づけば俺も36歳。同世代の友人が仕事や子育てに奮闘する中、俺は夢なし金なし女なし、ついでに髪の毛もなしって、もはや死ぬレベルじゃねーかよ。ちなみに俺が住んでいる秋田県は2019年の県内自殺率が山梨県に次いで2位である。
この先俺はどうなっちまうんだ。そんなことを考えていた青い春はとっくに過ぎて30代も半ばを過ぎると、否が応でも気づいちまう。俺はもうどうにもならねえ。こんな毎日が永遠に続いていくんだなって。
どこか遠くに。どこか遠くに旅に出たい。
真夏の深夜、エアコンがぶっ壊れたアパートでコンビニの「からあげクン」をつまみに第三のビールを飲みながら、ついでに紗倉まなの無料動画を見ながら、ふとそんなことを思った。
どこか遠くの知らない国へ行きたい。言葉なんて通じなくたっていい。食べ物だって意外と旨いかもしれない。ついでにジャパンではモテなくても、うまくいけば日本国籍を欲しがってる東南アジア系の女となら結婚できるかもしれない。
だが世の中はコロナウイルスの影響で完全に自粛ムードである。海外旅行に行くなんて言ったら、親戚中から総バッシングを受けることが目に見えている。むしろ海外どころか、県外への外出だってままならないのが2020年のサマーである。そうなると県内で、ということになるが秋田県には絶望的に何もない。もはや米しかない。
だけど考えてみたら秋田のことを何もないって思うのは、俺は秋田のことを何も知らないからではないのか。もしかしたら秋田のどこかに、俺の知らない隠れた面白さが眠っているかもしれない。たしかに俺は生まれ故郷の大仙市や仙北市、今住んでいる秋田市以外はほとんど行ったことがない。特に県北エリアは全くもって未開の地である。俺の知らない秋田を探す旅。秋田県内ならちょちょいと電車で行けるし、お金もそんなにかからない。そして何より県内の旅なら、世間もなんとか許してくれるだろう。
俺はさっそく、最初の旅先を大舘市に決め、大舘駅行きのJR奥羽本線に飛び乗った。秋田県大館市は人口約7万人、北境は青森県と接している県北の街である。
ちなみに、さっき県内ならちょちょいと電車で行けると書いたが、秋田駅からは2時間弱の旅となる。
■忠犬ハチ公の故郷・大舘とは?
大舘駅に着くと、まず目についたのが忠犬ハチ公である。
そう、大舘市は忠犬ハチ公の故郷なのである。だが渋谷の忠犬ハチ公像と比べると、あまりにも認知度は低い。正直秋田県民以外で知っている人はほとんどいないと思われる。
コロナウイルスの影響で駅前の犬たちもマスク姿である。
少しだけ駅前を探索してみる。
大舘市は県北で最も人口が多い都市ではあるが、駅前は寂しげである。
昭和レトロ映画館「御成座」。うさぎもいるらしい。
歩いていると、唐突に生姜焼きの甘辛い匂いが空腹を刺激してくる。
匂いに誘われるように店内へ。ちょうど昼時だったためか、なかなかの盛況ぶりである。従業員のおばちゃんたちの声とテレビから流れる高校野球の実況が交差する店内で、大舘市民たちが黙々と生姜焼きを食している。意外にも女性のお客さんも多い。
腹が膨れたところで大舘探索の再開であるが、とにかく大舘はハチ公推しが半端ない。もう隙あらばハチ公である。
駅から少し歩くと「大舘市観光交流施設 秋田犬の里」なる建物まで存在する。
館内はお土産屋さんのほかに忠犬ハチ公の資料館といった具合だが、もはやハチ公におんぶに抱っこで、さらに大舘市民の荷物をこれでもかと背負合わせている塩梅である。
渋谷では誰もが知る超有名な待ち合わせ場所として認知されているハチ公だが、ここ大舘ではサブレにされマンホールにされ、もはやハチ公もいい迷惑である。
と、なぜか大舘をディスってしまったが、とにかく街全体のハチ公推しが熱すぎるのである。
さてこの日は真夏日。東北といえども歩いているとかなりの暑さである。どうやら大舘駅から一駅先の東大館駅には飲み屋さんが立ち並ぶメインストリートがあるようだ。ここはひとつ昼から飲める店でも見つけて、この「KANEYANの秋田ぶらり旅」の門出を祝いたいものである。
俺は大舘駅からJR花輪線に乗って東大館駅へと向かった。大舘駅は少し寂しい印象だったが東大館駅は色々と店も揃っているだろうと、なぜかそう思い込み意気揚々と東大館駅に降り立ったのであるが早々にそれは大きな勘違いだったことに気がついた。
■県北最大の繁華街・東大館の夜の姿とは?
東大館駅周辺を歩きながら、早くもこのぶらり旅の最大の試練が訪れる。
やることがないのである。
それでも歩くこと10分。1件の定食屋さんを発見する。店内に入ると三角巾をつけたおばあちゃんがキョトンとした顔で俺を見ている。
「1名ですけど大丈夫ですか?」
「今日は誰も来ないと思って、材料がないのよ。ごめんね」
東大館の洗礼に俺は途方に暮れた。夜になれば駅付近の飲食店も開店し始めるだろう。だが夜までもう少し時間がある。俺は昼からのビールは諦めてたまたま見つけた銭湯に入ることにした。人は暇を持て余すと銭湯に行くものである。
中に入ると意外にも繁盛していた。大舘のおじいちゃんおばあちゃんたちの憩いの場として機能している様子である。激アツのお風呂(ぶっちゃけ30秒以上浸かることができないレベルだった)で汗を流し夜を待つ。
夕方18時を過ぎると駅前通りにも少しづつ明かりが灯っていく。
だがいわゆる東大舘の夜の街には人が歩いていない。開店しているお店にも「県外の方お断り」「大舘市以外の方お断り」という張り紙も目立つ。自粛と鎖国。俺もこのまま帰ったほうがいいのだろうか。そんなことも考えたが、せっかくなので1件のスナックに入ることにした。
店内に入ると60歳前後と思われるママが出迎えてくれた。ママが用意してくれたスイカを念願のビールで流し込む。時間がまだ早いせいか、客は俺ひとり。やはりコロナの影響で客足は今ひとつのようだ。
それでも夜の19時を回ると、何人かのお客さんが入店し、それなりの賑わいを見せ始めた。ママの他にも阿佐ヶ谷姉妹似のお姉さんと、日本語の片言を話すマダムもご出勤のようである。
「別れないでと 泣く声が 今も聞こえる大舘の夜~」
大舘ダンディが阿佐ヶ谷姉妹似のお姉さんの肩を抱きながら、石原裕次郎の「東京の夜」を「大舘の夜」に変えて気持ちよさそうに歌っている。俺もビールを芋焼酎の黒霧に変えて大舘の夜が過ぎていく。
「オニイサン、チェリー、シッテル?チェリー、イレタ。チェリーチェリー」
片言の大舘マダムが自分用に持ってきたうどんを食べながら俺に向かってやたらとチェリーを連呼する。
いやいやお姉さん、失敬な。こう見えて俺はチェリーではありませんよ。まあ言ってもすべての経験はお店で、ですけど。てへへ。というか、そのうどん一口ください。
と、思ったがどうやら違った。スピッツの「チェリー」を俺に歌えというのである。俺は歌が苦手である。だが既にイントロが始まっている。俺は生粋のM気質なので、ちょっぴり強引プレイには弱いたちである。俺は潔くマイクを持った。
「君を忘れないー。曲がりくねった道をゆくー」
大舘の夜に素人チェリーの調子はずれの歌が響くのであった……。
さて、唐突に始まったKANEYANの秋田ぶらり旅。こんな調子で続けていけるのかいささか不安ではあるが、ひとまず忠犬ハチ公に別れを告げて、次回は花輪線をもう少し先に進んでみようか。
続く。